007毀れた弓
 
 
 
 
 遠い未来にどうにかなったって、そんなの今の私に、なんの関係があるっていうの
 それが欲しいのは今の私で、未来の私じゃないわ。
 第一、誰にも迷惑かけてない。
 
 
 
 そんなようなことを言い放って、目の前の少女は私を睨み、しかし私が目をそらさない
と見ると、忌々しげに顔を横に向けた。
 もういい加減うんざりしているのは彼女ではなく、はっきり言ってしまえば私のほうで、
こんな愚にもつかないことをさも当然の権利であるかのように声高に叫ぶ輩はなにもこれ
が初めてではなく、私がうんざりしているのは、まさにこれが初めてではないということ
についてだった。
 これから話にならないような話をしていく中で、彼女の口から出るであろう言葉も、私
には容易に想像がついた。
 それを裏付けるのは、その若さを塗りつぶしてしまったような、下手くそな化粧や、だ
らしなく着崩した衣服。私の前に座る彼女のような子どもは、大抵こうだ。そしてどの子
もあきれるほど視野が狭く、語彙が少なく、考えが浅い。
 おまけに素行までが不良で、手のつけられなくなった母親が、自分でも引くに引けなく
なった子どもを連れて最後の手段とばかりにやってくるのが、この相談所。
 このカウンセリング室の隣りの小部屋で、彼女の母親は一体なにを思っているのだろう。
私はむしろ、子どもより母親のほうに興味があった。善意だけでカウンセラーなんてやっ
てたら私のほうが潰れてしまう。時に不謹慎なまでの好奇心を抱くことで、私はどうにか
自分の精神の均衡を保っている。
 彼女が攻撃的に放つ言葉を、私はゆっくりと繰り返して、彼女に確認をとらせる。そん
な振りをして、本当は彼女に自分の放った言葉を客観的に聞かせている。しばらくそんな
ことをしていると、少女からわずかにではあるが、最初この部屋に入ってきたときのよう
な、険のある態度は薄れていた。わずかばかり残っていた羞恥心が、揺り起こされたらし
い。こんなとき、険があるのはむしろ私のほうだと思う。この容赦のなさは、私の短所で、
だけど私を救うものだ。そして大抵の人は、これくらいの鋭さには耐えられるものだ。耐
えさせていない、例えば彼女の母親のような人にはわからないだろうけれど。
「・・・じゃあ、お母さんを呼んできてください。そしてあなたは隣りの部屋で待ってて」
 一時間のカウンセリングを終えると、彼女は存外素直にうなづき、部屋を出て行った。
 話をしながらメモをとるのはとても疲れる。誰か別の人がいれば書記をしてもらえるの
だが、生憎今日は平日で、研修に来ている大学生達も皆授業らしい。
「・・・失礼します」
 ノートを見直して書き加える間もなく、またドアがいた。不安そうな色が、中年の女の
顔に乗っている。ここに来た時には猛獣のようだった娘が少しおとなしくなったので、一
体なにをされたのだろうと、こちらに怯えているのだ。なにかさせるためにここに連れて
きたくせに。
 あなたがサボってきたことの尻拭いを今私に任せてもらっているんですよ、ということ
を、できる限り表情に出さないようにするのはとても大変。
 我ながら、こんなに性格悪くていいのかなあ、と思ったりするが、性格が良くて自分が
発狂するのよりずっとマシなので、このまま突き進む。大抵の場合、両親、特に母親のカ
ウンセリングも必要なので、娘さんが生まれる前のことから順に聞き出していく。それも
きちんと聞きかえしながら。
 途中で脱線するが、それでもかまわない。それにもきちんと相槌を打って、必要であれ
ばメモもとる。求められれば意見も言う。
 不意に馬鹿馬鹿しくなるが、だからといって止められるはずもない。目の前の人は、肝
心なことをぼかしてそらして話をしている。だけどそれを追求してはいけない。話したく
なればそのうち話してくれる。待つしかない。
 母親の方のカウンセリングも終わり、会計を済ましてもらって次の予定を決める。決め
たところで、次回ちゃんと来るかどうかはわからない。来なくても追わないのは当然で、
要はぼろぼろになった自分たちを、当の本人達がどれだけ強くなんとかしたいと思ってい
るかが全てなのだ。もちろん、こちらが信じてもらえるかどうかもだが。
 まだこちらの様子をうかがっている少女と、少しばかり興奮しているかのような母親に、
とびきりの穏やかな笑顔を向けて、私は二人をエレベーターまで見送った。
 そして二人を外へと放ちながら、軽く右手を上げた。
 
 
 
 
「では、来週の水曜日、午後三時に」
 
 
 
 
  
(20031013)
 
 
 
 
 
 
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