025のどあめ  
 
 
 
 
 
 一箱ください、といいかけて、でもそんなのたった二日ももたないのだと気づき、タカシは
もう口から出かけていた言葉をうやむやにして、二箱ください、というと、無愛想な中年の店
員が後ろの棚に積まれていたのどあめを二箱、ショーケースにのせて、ぶっきらぼうに値段を
告げ、タカシがもう既に握り締めていた紙幣をやはり横柄に受け取ると、投げるようにしてお
釣りをよこした。
 こんなことでよく客商売なんてやってるよなあといつも思うのだが、セールストークなんて
ものをまるで知らないようなこの店員は、いま一言だって余分にしゃべりたくないタカシには
ちょうどいい。受け取るや否や、タカシはその箱の封を切って、そのあめを口に入れ、慌しく
薬局を出た。もうすぐ仕事が始まる。
 タカシの仕事というのは、声が出なければなんの役にも立たないといってもいいような仕事
で、人にしてみれば教員なんて、それも英語の教師なんて、カッコいいじゃん、なんて気楽な
モノなのかもしれないけれど、生来喉が弱いのにしゃべらずにはいられないタカシにしてみれ
ば、果たしてこれは天職といえるのだろうかと毎年この時期が来ると憂鬱になってしまう。英
語はおろか日本語さえもまともに口にすることができないのであれば、英語教師でござい、な
んてふんぞり返ってる場合ではない。いや、ふんぞり返ったことなどないのだが。
「先生、今日もひどいみたいですねえ」
 隣りの席にいる若い数学教師が、鈴を転がすような声でタカシに話しかけるが、タカシはそ
れに、ええ、とかなんとかいい加減に返事するだけだ。自分よりよほど頼りなげなこの女性教
師は、隣りのクラスで授業していると時々びっくりさせられるほどの大きな声で生徒に話し掛
けている。そんな、幼稚園児じゃないんですよ、高校生相手になんで、とタカシはいつも、授
業をざわつかさせられる困惑や、そんな健康さへの嫉妬などで、どうにも彼女に打ち解けられ
ない。くすくす笑う生徒たちの注意を自分に向け直させなければ、と思うのだが、その声さえ
かすれて頼りない自分を、生徒たちはどう思っているのだろう。
 朝礼が終ると、待ちかねていたかのように、タカシはまたのどあめを一つ食べた。今日は朝
イチで授業がある。テストが近いので、ポイントなどを生徒に伝えるため、きっと今日もしゃ
べりすぎてしまうのだろう。しかもできるだけ大きな声で。それを思うと、もう一つのどあめ
を口に放りこんでおいた方がいいような気がしてきた。と、
「先生、これちょっと飲んでみてください」
 隣りの彼女が、なにやらタカシのマグカップを差し出す。勝手になにやって、と少し苛立っ
たが、しかしここで波風を立てる気は毛頭ないので、なんですか、と言って受け取る。透明だ。
「お湯なんですけど、ちょっとはマシですよ」
「マシ?」
「のど。冷たいまんま、湿り気のないまんまってよくない気がしません?」
 その言葉も、そして添えられたささやかな笑顔にも、唐突な感じはしなくて。
 ずっと彼女はそう言いたかったのかもしれない。
 隣りでまるで縋るようにのどあめを食べ続けるタカシを見ていて。
「・・・ありがとうございます」
 少し温めの湯が入ったカップに口をつける。
 イライラしてたり憂鬱だったり落ち込んでいた体から、ふう、っとため息の形で重石が流れ
出ていくような感覚。
「ね?」
 タカシの反応をじっと見守っていた彼女が、言葉とは裏腹の、自信なさげな顔でタカシにそ
う問うてくるので、タカシはなんだかおかしくなって、
「はい」
とだけ言うのが精一杯だった。
 口の中にわずかに残っていたのどあめは。
 白湯に溶かされ体に染み渡り形のないものとなって、ほろ苦さだけがタカシに残った。
 
 
 
(20030105)
 
 
 
 
 
 
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