026The world is mine
 
 
 
 彼を思い出すときにはなぜか、いつもうつむいてしまうというのは、実際おかしな
話だと思う。
 天まで突き抜けるような笑顔で、力強く存在した彼を地面に、いや、地中深くに思
い描くというのは、傍目から見れば、それを思うその人が、彼になにか鬱屈した感情
を抱いているのではないかと勘ぐってしまうだろう。
 そうだともいえるし、そうではないともいえた。
 離れてからもう何年たったのか、そんなのは数えるまでもない。自分の年から高校
を出た歳を引けばよいだけだ。しかしそんな単純なことさえも、決してしようとしな
い自分の弱さにすらふたをした。
 ただ別れの日の彼の笑顔だけを世界の一番深いところへ思い浮かべる。
 あの日、らしくなく花なんて胸につけた自分は彼を探していて、ようやく見つけた
その彼はというと、屋上の剥き出しのコンクリートの上に寝転がって、いや、本当に
眠っていた。そうして思わず声をかけた自分にゆっくりとその目を開けて、わずかに
笑った。
 そうだ彼は。
 自分に向けて、笑ったのだ。笑いかけるようになっていたのだ。
 どこか険しい目をもつ彼が、ようやく自分にも。
 そんな彼に言わなければならないことは、確かにあったはずなのに。
 彼の胸にはもう既に花はなかった。取ってしまったのかもしれないし、誰かに取ら
れたのかもしれなかった。もっとも彼に花など必要なかった。
 自分にとって、彼以外に花たり得るものはなかったのだから。わざわざ一輪の花で
胸を飾らずとも、彼がそこに存在しているだけでもう十分立派な、花なのだから。
 そのあと彼となにを話したのかあまり覚えていないところを見ると、もうそれ以上
会話らしい会話はなかったのかもしれない。それは至極当然のことだったのだと思う。
彼と自分の間に、今更なにを話すこともなかったのかもしれない。
 告げなければならないと思っていた言葉さえも、おそらくそれほどに薄っぺらで意
味を持たないものに違いなかった。だから思い出すことすらいらないのだ。
 思い出すのはたった数分間の、あの二人だけの、屋上での。
 あのシーンを何度も繰り返す。地中に映し出す。
 何度も、何度も。
 彼が髪を春の風になぶらせている様を。
 自分が彼に声をかけて、彼が目を覚まして。
 何事かを言いながら起き上がり連れ立って屋上を出。そこでリセット。
 
 
 
 この記憶だけは自分のもの。
 世界があるかぎり、いつでも映し出せる。
 だからこの世よ。
 どうかどうか、ほろびてくれるな。
 
 
 
 
(20031102)
 
 
 
 
 
 
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