三百字以内で述べよ
 
 
 
 
 
 それはクラスメイトが、ある日の休憩時間にセナへ放った問いだった。
「ヒル魔さんてどんな人なんだ?」
「え…えぇ?」
 いきなりだったので、セナはなんだか押しつぶしたうえに裏返ったような、そんな
変な声を出してしまったが、目の前の二人は、そんなセナを質問攻めにする。
「あ、オレも聞きたい。やっぱこえーんだろ?」
「うちの先輩なんかも、名前聞くだけでビクッてなってんだぜ」
 一年生にはまだイマイチピンと来ないが、二三年生の間では彼の名前そのものがタ
ブー扱いされるほどだ。その様子を見た一年生にも、少しづつ、でも着実に、ヒル魔
の恐ろしさは伝わっているらしい。
「ああまで恐れられてるのに、おまえよく一緒の部活なんかやってるよな」
 あきれているのか感心しているのかわからない口調で、セナなどよりよほどアメフ
トに向いていそうな級友が眉をひそめる。
「セナが意外に根性据わってるか、それとも、周りが勝手にヒル魔さんにびびってん
のか。どっちなんだ?」
「噂ばっかりで全然実像が見えてこないしさ。本当のところはどうよ?」
 詰め寄られて、セナはちょっと身を引いた。
「ど、どんな人って…」
 しかしセナがそれ以上言葉を続けることはなかった。いつの間にか教室に入ってき
ていた強面の社会科教師に、じろりと睨まれたから。
 
 
 
 
 聞いた本人達はわりとあっさりどうでもよくなってしまったらしいが、しかしセナ
はそのあとも頭を切り替えることができないでいた。
『ヒル魔さんてどんな人?』
 天井を仰いで、セナはふうっとため息をつく。
 例えばこれが幼なじみのまもり姉ちゃんだったら、自分は即座に答えられていたに
違いない。正義感が強くてしっかりしててやさしくて綺麗で料理もできて賢くて。少
し自分に対して過保護なのが玉に瑕。そんなふうに。
 だがヒル魔となると、一体どんな人だといえばいいのかわからない。
 もちろんまもり姉ちゃんとは一緒にいた年数が長いせいもある。対してヒル魔はや
っと一ヶ月だ。それでどうして、すらすらと彼の人となりを説明することなんてでき
るだろう。
「・・・・・・」
 乱暴、と授業中、教師の目を盗んでノートに書き付ける。白紙の中にぽつんと書か
れた穏やかではない文字。それはまるでヒル魔をたった一言で片づけてしまったよう
で、セナは慌てて他に書くべき言葉を捜す。
 アメフトが好き。そうそう、これでちょっとよくなった。たぶん。でもどんな人、
という説明からは、少しずれている気がしないでもない。そしてそんなわかりきった
こと、いまさら誰も聞いてない。
 意外に練習熱心。そして結構知性派。アメフトのことに関しては、労力も努力も知
力も気力も惜しまない。まあかなり犯罪スレスレなこともやってるから、それはちょ
っと困るのだけれど。ああ、ちょっと困る、だなんて。大分ヒル魔の行動に適応して
きてしまった、とセナは遠い目をしてしまう。人に色々諦めさせるのがうまい、とも
書き加える。あと、丸め込むのもプロ並だ。丸め込むのにプロがあるかどうかはとも
かく。
 でも本当にヒル魔という人は、乱暴だし強引だしむちゃくちゃだし卑怯だし口も悪
い。
 主務の仕事がしたかった自分を勝手にアイシールド21なんて覆面プレイヤーにし
ちゃうし。
 ていうか銃刀法違反だし。
 うれしいときとかほめたいときには素直に口にしないで人を蹴っ飛ばすし。
 全然計画性なんかなくていっつもいきなりだし。
 ぐじゃぐじゃと、あれやこれや書き連ねていったら、ページが見る間に埋まってい
く。後になるにつれ、感情が高ぶってか文字が大きくなっていて、セナは苦笑する。
本当に、どうしてこんな人のいる部活で自分はがんばっちゃってるんだろう。
 ヒル魔の顔を思い浮かべる。どこからどうみても悪人面。ド金髪だしピアスジャラ
ジャラつけてるから、余計怖い。でも最近慣れてきた自分もちょっと怖い。
 今までの自分だったら、パシリにされるから絶対近づきたくなかったタイプの人だ
よな、と思って、セナはふとペンを止める。
 そういえば、出会ってからずっと、強引に乱暴に振り回されたけれど、ヒル魔に理
不尽な理由でパシリにされたりだとか、いじめられたりだとかは、一度もない。それ
どころか時々、非力で要領の悪い自分に代わってさっさと主務の仕事もやってくれた
り、気が向けば部活帰りに、ジュースやパンなんかをおごってくれたりもする。強引
なようだけれど、相手が本気で嫌がることは強要しない。
 ガミガミ怒鳴って武器を振り回しているかと思えば、意外に子どもみたいな顔で笑
ったり…
 ここでセナはヒル魔の笑顔を思い出して、体をびくっと震わせた。思い出したのは
いつもの悪魔っぽい笑みではなくて、この間たまたまふたりで帰ったときヒル魔が、
「おまえも少しは勉強しろ」
と言って買ってくれたアメフトの雑誌を素直に喜んだセナに見せた、どこか得意そう
で、そしてとても嬉しそうな笑顔。
 セナはあの時、ヒル魔の心遣いが嬉しいばっかりだったのだが、今思えば、なんて
貴重なものを見たのだろうと、自覚した心臓がうるさく騒ぎ出す。
 数日前のヒル魔の笑顔にいまさら見とれるとは、全くのんきな話だ。
 ノートにはそれ以上なにも書けなかった。ペンを持てばヒル魔に一笑に付されそう
なことを書いてしまいそうで。
 
 
 
 
「おい、糞チビ」
 放課後になり、ヒル魔と顔を合わせるのが怖いながらも部活をサボるわけにはいか
ないセナは、恐る恐るといった風情で部室に向かい、中にヒル魔がいないのを知ると
もうダッシュで着替えて、そして部室を出てギリギリまで顔を合わせないで済んだ。
 はずだった。―――あと五秒早く部室を出ていれば。
 外へ出ようと部室の扉を開けたらそこにいたのはよりにもよってヒル魔で、セナは
それまで考えていたことがことだったので、とても挙動不審になる。しかし逃げたい
一心で彼の脇をすり抜けようとしたのだが、へっぴり腰のアイシールド21はたやす
くヒル魔に腕をつかまれて部室へと逆戻りさせられてしまう。
「な、なんでしょうかっ」
 ヘルメットをしていてよかった。アイシールドのおかげで表情がばれずにすむ。
「…なにをそんなにビビッてんだ」
 不機嫌そうな顔で、ヒル魔がセナをのぞきこむ。二十センチ以上の身長差は、セナ
には縮めるのが大変でも、ヒル魔にとってはちょっと腰をかがめればいいだけで、だ
からセナはヒル魔から逃げられない。
「ビ、ビビッてなんか…」
ない、と続けようとしたが、ヒル魔の顔があんまり近くにあるので、それ以上しゃべ
ることができない。アイシールドも、なんだか役に立ってないような気がしてきた。
「ったく!」
 急に、ヒル魔が体を引く。そしてくるりと背中を向けると、音を立ててテーブルの
足を蹴った。またセナの体がすくむ。
「最近やっと…」
 制服を脱ぎながら、ヒル魔が何かぶつぶつとつぶやいているのだが、うるさい鼓動
のせいでよく聞こえない。この隙に部室から抜け出そうとセナはそろそろと動き出す
が、まるで後ろに目があるみたいに、くるりとヒル魔がこちらを振り返ったので、セ
ナは叫びだしそうになる。
「…オマエなあ…」
 はぁ、と小さくため息をついて、上半身裸のまま、ヒル魔がまたセナに近づいてく
る。今度こそ殴られる、とセナはぎゅっと目を閉じたが、代わりに、ヘルメットをス
ポッと外された。直接殴る気だろうか。しかし一向に痛いのはやってこない。
 薄目を開けると、腕組みして、まじまじと自分を見ているヒル魔の姿があった。
 どうしたんだろうと思うセナが、口を開くより一瞬早く。
「お前はオレのこと、どう思ってるんだ」
 
 
 
 足に力が入らなくて、セナはへなへなと床に座り込んでしまう。
「な、なんだぁ?」
 ヒル魔の慌てた声が遠くなる。思えばこれも珍しいことなのだが、そんなことなど
もうどうでもよくて。
 ヒル魔をどう思うかなんて、こっちが教えてほしいよと、セナは真っ赤な顔で半べ
そをかいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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