a little less conversation
 
 
 
 
 
 ヒル魔は不自然な無表情でセナを見つめ、でもすぐにくるりと背を向けてどこかへ
消えてしまった。その足どりは全くいつも通りで、だからセナはかえって拒絶された
ような気になってしまい、じっとその場に立ちつくす以外になく。
 心臓がせわしなく動いて、すべての血液を頭へと運ぶ。しかし回転は鈍く、自分が
これからどうすればいいのかまるでわからない。さっきヒル魔になにげなく言った言
葉さえも脳内から消えかかり、あるのはただ焦りと後悔と、そして怖れ。
 なんてことないセリフだったと思うけれど、それをヒル魔がどう受け取ったかまで
はわからない。セナは手が痛くなるほどきつくこぶしを握りながら、必死でさっき自
分が言ったことを意識の中から手繰り寄せる。
 部室まで数十メートルのところで出くわしたヒル魔が、練習の予定を言ってきたの
だ。それが今までよりも厳しいものだったのでセナが思わず顔を引きつらせていたら、
ヒル魔が、
『これくらいできねえと試合で通用しねえ。いざ試合となったときに出来るのは、練
習でできた半分くらいなもんだ』
なんてことを言ったので、ますますセナの弱気の虫がのさばり。だからつい。
『・・・運動って、こんなに大変だったんですね』
みたいなことを、言ったような気がする。
 するとにやついてセナを見ていたヒル魔がすっと真顔になり、そうしてものもいわ
ずに立ち去ってしまった。
 なにいってんだか、と、ただ白けただけだったらいい。でも、いままでずっと大変
なことからは逃げ回る生き方をしてきた自分を軽蔑されたのだったとしたら。
 恐ろしいのは、確かにヒル魔のように目的のためには手段を選ばず邁進できるよう
な人とは違い、セナはまず目的すらろくにもったことがなく、努力とも無縁の生活を
長く続けてきたという事実。十五にもなって、唯一がんばったともいえるのが高校受
験だなんて、それは人として怠けすぎていると思われても仕方がない。
 もちろん、同年代でヒル魔ほどの強い意志を持って突き進んでいる方が特異なのだ
とはわかっている。しかしだからこそ、セナはヒル魔を知れば知るほど、幼なじみの
まもりが言うところの「虚弱で貧弱で脆弱で最弱」な自分が、ヒル魔の前でどんな顔
をしていればいいのか、わからなくなってしまうのだ。 
 無茶苦茶で強引で怖い人だと思っていた最初のころとは違う。セナはもうヒル魔を
尊敬すらしてしまう程度には、ヒル魔を知っている。
「・・・・・・どうしよう」
「なんでまだこんなところにいるんだよ糞チビ」
 背後からいきなりかかった声に、セナは思いっきり叫び、その音量にヒル魔は空い
ていた方の手で耳を塞いだ。もう片手には愛用のノートパソコン。どうやらこれを取
りに行っていたらしい。
「テメェ・・・鼓膜が破れたらどうすんだ」
「ご、ごめんなさ・・・!」
 動転しすぎて言葉がうまく発せない。ヒル魔はそんなセナを、さっきよりずっとく
っきりした胡乱な目つきで見ている。それにセナはますます慌てる。
「大丈夫ですかっ!あ、あの僕部室に行こうと思ったんですけれど。考えがまとまら
なくて、なんていっていいかわからないし、どうしたら」
「・・・なに言ってんだ?意味わかんねえ」
 全くそのとおりだったので、セナはぐっとつまり、途端にその場が静まり返る。
 ヒル魔と目を合わせられなくてうつむいてしまったセナの耳に、深いため息が聞こ
える。ますます、下を向いてしまう。しかし。
「・・・なんつっていいかわかんねえんなら、しゃべる必要なんかねえんじゃねえの」
 ぽん、と軽く頭を手ではたかれ、そして降ってきたのは意外に優しい声。
「なに言っていいかわかんねえってことは、テメェには今は、言葉より行動だってこ
とだろ」
 セナはものすごい勢いで顔を上向ける。
 そうだ。
 そうだったんだ。
 足りないのは言葉ではなくて。
「とりあえず、練習だな。オイ、さっさと着替えてラダー出しとけ」
 頬を紅潮させて自分を見るセナに、またさっきと同じような表情をして、ヒル魔は
セナを部室のほうへ軽く蹴り出す。
 それは暴力でもじゃれているのでもなく、自分を行動へと向かわせるため。
 セナはきゅっと口を引き結び、だけどすぐにほころばせながら、勢いがついたまま
駆け出した。
 後ろでヒル魔が、にやにやと満足げに笑っているのにも気づかないほどまっすぐに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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