いちめんの


 

 電車に乗せられた。
 どこに行くのかと聞いても、花道は答えない。
 にこにこしていて、だけどちょっとでもしゃべると嬉しい気持ちが流れ出てしまうとで
もいうかのように、珍しくしゃべらないでいる。
 流川は自分がしゃべるのはそれほど好きというわけではないのだけれど、花道がしゃべ
るのを聞いているのはとても好きだと思うので、ちょっと残念な気持ちになるが、花道の
こころからの笑顔を見ているのはもっと好きなので、もうなにも聞かず、いわず、隣りに
座る花道の顔をじっと見ている。
 人の少ない、だけどとても日あたりのいい電車の中は、それだけで流川をとても幸せな
気分にさせてくれる。加えて機嫌のいい花道。流川の顔も自然ゆるんで。
 穏やかな、どこかのんびりした車内アナウンス。
 うたた寝をしている向かいの老女。
 座席に膝立ちになって外を見ている小さな男の子。
 ドア近くに立っている若い女の人の髪が陽に透けて茶色に光っている。
「・・・・・」
 気持ちいい、と声に出しそうになって、でも流川は心の中で呟くにとどめた。
 このふわふわとした場に、そんな言葉は邪魔でしかない。
 少し眠くなってきたけれども、眠るのが惜しい、そんな気持ちもある。
「ルカワ、次で降りるぞ」
 花道がようやく声を聞かせた。うん、と流川はうなづいて、ジーンズのポケットから切
符を取り出す。一時間ほども乗っていたのではないだろうか。
 電車はほどなく停まり、ふたりはその小さな駅に降りる。電車の中が暖かかったせいか、
外の空気は少し寒く、流川はなんとなく首筋をこする。
「こっちこっち」
 手招きする花道の後に続いて改札をくぐり、外に出ると、そこは小さな町だった。
 花道はためらうことなく駅の側のバスターミナルに向かい、慣れた様子でさっさと一台
のバスに乗り込む。二人を待っていたかのように、そのバスは走り出した。
「どこ行くんだ」
 あまりにも花道が当たり前のようなので、流川は思わずまた聞いてしまう。
「これで5つ目のバス停で降りて、歩いて・・・15分ってとこかな」
「それでどこに着くんだ」
「畑」
 
 
 
 
 
 家はバス停からちょっと離れたところにいくつか見える程度。田舎、というのがぴった
りなそんな風景。
 花道は畑に行くといったけれども、一体どういうことなのか理解できず、流川はちょっ
と混乱していた。
「こっちだってばよ」
 花道が今にも走り出さんばかりなのもわからない。畑の一体なにがそんなに心を騒がせ
るというのか。
 橋を渡り、うっそうとした竹林の中の道を通る。日向がうそかのような空気。冬の名残
だ。すっと体が冷えて、それでやっと流川は自分がうっすらと汗をかいていたことに気づ
いた。
 しばらく日陰を歩いて、やっと日の当たるところへ出たと思ったら、桜木は今度は小高
い丘へ登りだした。道などはなく、人が踏み固めてできたらしい筋があるのみだ。そこだ
け草が少なく、少しへこんでいる。ちゃんと下を見ていないとそのわずかな筋を踏み外し
てしまいそうで、流川はうつむきがちに歩く。春らしく、草はやわらかな緑色で、あまり
背が高くないものばかり。
「ルカワ、着いたぞ」
 一足先に丘の上に立った花道が、囁くような声でいいながら、流川を振り返った。少し
目を上げて花道を見た流川は、また目を伏せ、少しスピードを上げて、花道の横に上がる。
 やっと前を向いて、目を上げたそのとき。
 まぶしいのかと、一瞬思った。
「・・・畑」
 息を切らしながら、流川はそんなふうなことを言った。
 そんなことしか言えなかった。
 いちめんの、黄色。
 視界を埋め尽くす、まっ黄色の花。
「菜の花だぜ」
 知っている。それくらい知っている。
 だけど、こんなにたくさんの菜の花は知らない。
 春の光を受けた、目に痛いほどの、黄色い花。鮮やかすぎて、言葉が出ない。
「すげーだろ」
 となりで花道が、自分も驚いたような声で、そんなことを言った。
 
 
 
 
「親父の知り合いが脱サラして、農業やってて」
 あの菜の花畑も、その人がつくっているのだという。
 ひとしきり菜の花を見てから、二人はバス停まで引き返している。今度は、花道の足も
ゆっくりだ。
「何年か前から菜の花作り出して、そんでオレも毎年見に来てんだ」
 その父親の知り合いという人は、父親がなくなったあともなにくれとなく花道に世話を
焼いてくれる。親戚とも縁が切れたような花道にとって、その人は後見人のような存在で。
「あんなに作るんか」
「ああ。しかもあれ、ただ作ってるだけみてー。好きだから、きれいだから、って。道楽
みてーなもんだっていっつも言ってる」
 とんでもないことだと流川は思った。そして、会ったこともないその人を、尊敬した。
「バスで一駅分のところに、山桜とかイワツツジがある山の見えるとこがあるけど、行く
か?」
「行く」
「多分もう満開だぜ。そのあとで、おっさんちにも寄るか」
「近くなんか?」
「おお。あの家からでも山桜が見えるぜ・・・・・・」
 ふわふわとしたモンシロチョウが、花道の髪を掠める。
 日差しは、やはり暖かくて――――――
 
 
 
 
 自然と、手をつないでた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

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